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石川県金沢市にあるチュー二ングショップ スピードショップファントム
ファイナルラップ 最後の挑戦
8年目のシーズン 20歳

愛知県の名門チームに入った私は、全日本選手権 西地域 に再挑戦しました


結果はどうであれレース活動はこの年で最後にすると決めていました

モータースポーツは莫大な費用が必要です

全日本選手権を1年戦えば、年間数百万かかります

それまでのレース活動も、自分の給料では全く足りず、仕事とバイトを掛け持ちし

、時間的にも資金的にも家族の援助や色々な方に協賛していただき何とかレースをしていました

数年間は、盆と正月以外は休んだ記憶がありません

夜中にレースから帰ってきて、翌日の朝そのまま寝ずにバイトにいったりしていました

そんな生活を何年も続けて、活動資金、家族への負担、肉体的にも、もう限界でした


そして迎えた、第1戦 静岡 つま恋カートコース

万全の体制を手に入れて、事前テストから好調を維持し、チームからは初戦は10位以内で

フィニッシュが目標、と言われていましたが、目標を上回る、3位でフィニッシュしました

2年前、全く通用しなかった自分が嘘のようでした

エンジンチューナー、シャシー担当、ドライバー、それぞれが分業で良い仕事をして

集中できた結果でした

チームからは、コンスタントに5位前後に入れるようになれば、メーカーから市販タイヤとは異なる

スペシャルコンパウンドのタイヤが貰えるようになる、上位の選手はみんなスペシャルコンパウンドを履いている、

市販タイヤでは勝てないから、表彰台を目指すのはスぺシャルタイヤを貰えるようになってからだ、と言われてい

ましたが、市販タイヤで3位入賞と出来すぎの結果に自分も周りも驚きました

常識にとらわれずやってきた、自分たちの取り組みの成果が少し見えた瞬間でした

そして、次戦鈴鹿からはメーカーからタイヤ供給の契約をして貰えました

そんなタイヤがあるなんて全く知りませんでした


第2戦 鈴鹿サーキット南コース

タイヤ供給を受け、勢いづいた私は鈴鹿でも好調をキープ

2位でフィニッシュしました


第3戦 九州 6位

第4戦 リタイヤ

そして、第5戦 大阪 堺カートランド

慣れないコースでタイムトライアルで珍しく2位と、上位に入ったことで(いつもタイムトライアルは苦手で5~10位の間でした)

ついに自分にも勝てるチャンスがやってきたと思いました

しかし、予選で原因不明のエンジントラブル

立ち上がりで息つきし吹け上がりません

1ヒートは何とかトップをキープしましたが、2ヒート目に立ち上がりで失速したところに後ろから

追突されマフラーが壊れリタイア・・・

唯一とも言えるチャンスを逃しました

レースにタラればはありませんが、自分はやはり持ってない男でした・・・

レース後に原因を探ったら、なんともつまらないトラブルでした

燃料ホースが折れ曲がって、燃料が供給できずに息つきしていました

メカニックに発見してもらえれば防げたトラブルでした

メカニックにもっと仕事に集中してもらえるような環境を作れなかった自分の実力不足でした

しかし、チャンスはタイミングを逃すと、もう来ることはありませんでした

やってきたチャンスを掴めるように日頃から常に準備しておく

これが、レースでも仕事でも大事だと痛感しました

’96 全日本選手権 西地域 リザルト

これにて私のレースのお話は終了です

最後まで読んでいただきありがとうございます




 




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優勝かリタイヤか 0か100の戦い
7年目のシーズン 19歳

年初めのレースで引退を免れた私は、もう一度地方選手権を戦う事にしました

作手高原のレースで、これまでのレース人生で越えられなかった壁を越えたような、

そんな手応えを感じ、’95地方選手権 初戦 作手高原カートランド でのレースに出場

前哨戦と同じく、ウェットからドライとコンディションが変わる中、タイムトライアルから

決勝まで1度もトップを譲らずに独走で優勝しました

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その後、第4戦 富山 おわらの里スポーツランドで2勝目を上げ、この時点ではランキングトップでした

しかし、第5戦 岐阜 津保川カートランドでのレース

決勝レース中盤、2位を走行していた時に雨が降り出し、タイヤはスリックタイヤのまま

残りの周回を走り切らなければならない状況に・・・

今までのレース人生で、1位以外はいらない、目指すのは独走での勝利のみ、と教えられてきた

私は、安全に走り切れば2位になれたかもしれないレースで、非常に滑りやすいコンディションで

トップを狙うため更に攻めて、コースアウト→リタイヤに・・・

結局、このレースはノーポイントでフィニッシュし、ランキングも陥落

1戦の重さを痛感した時は既に遅し

常に勝利のみを目指し、100パーセントの力でプッシュし続ける・・・

これが私のレースの戦い方でした

その結果、優勝の次はリタイヤ、そしてまた優勝、極端なリザルトが残っていました

この年はわずか2回の優勝と1回の入賞のみで、シリーズ3位で終了し、翌年どうするか考えていた時

ある日突然1本の電話が・・・愛知の名門チームからでした

『ウチのチームに入って、全日本選手権に出てみないか?』

思いがけないお誘いでしたが、翌年は愛知の名門チームから全日本選手権に再挑戦する事となりました


余談ですがこの前、昔4輪のレースをやっていた仲間と一緒に久しぶりに、カートに乗ってきました

富山にトップライズというレンタルカート専用のコースがあって、気軽に楽しめます

初めてカートに乗る人は、大興奮でした

4輪と違い、車の差がないので技量がタイムに直結します

あまりカート経験がない人でも、速い人はすぐにタイムを出してきます

才能がある人は、カートに乗ると差が分かりやすいですわ~









絶体絶命からの覚醒
6年目のシーズン

1月に引退をかけて 愛知県 作手高原カートランド でのレースに出場しました

このレースは、父親に『このレースは俺はいかない、お前一人で行って来い』

と言われ、一人ではレースは無理なので、カートを始めたばかりの初心者のチーム員の方に

拝み倒してついてきてもらいました

このレースは地方選手権の前哨戦で、東海勢の草レースのトップ選手が多く参戦していました


愛知でのレースは1泊2日となるので、他のチーム員の方は都合がつきませんでした

このコースには、何回も練習には行っていましたが、カートの本場 東海地方の地元

練習量では圧倒的に地元が有利、さらに東海地方の名門チームは全日本の選手や、地方選手権の

上位の選手が、下のカテゴリーの選手のサポートに来ていて、組織的にレースを戦っている・・・

方や私は、プライベートで初心者の方を連れて単独で、東海勢の本拠地でのレース

雨除けのテントもなく、戦略からマシンの整備まですべて一人でやらなければいけない状況・・・

引退の片道切符を手に入れていました

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レース当日は天候が急変し、レインタイヤ→ドライタイヤ→レインタイヤと変えなくてはいけない

コンディションで、周りのチームは皆で協力して作業していましたが、私は初心者に任せるわけにはいかず

一人でタイヤ交換しながらカートを押してグリッドに向かい、ぎりぎりスタート

に間に合うような状況で、体力的にも精神的にも追い込まれました

その当時、ウエット路面が苦手だったこともあり、もう絶体絶命でした・・・

予選3番手から、ウエットでの決勝スタート

もう、何も考える余裕がなかった私は、無心で走っていました

スタートで1台、1コーナーで1台かわし、その後は後続を引き離し独走で優勝でした

これまで、ウエットが苦手だった自分が嘘のようにウエットが得意になっていました

外から見ていた人によると、全コーナーゼロカウンターで滑らせていて、それを見ていた

全日本のトップ選手が首をかしげていた、と言っていました

当時、カートでのウエット走行は丁寧にグリップさせて、いかにロスなくタイムを稼ぐか

という走り方が基本?でしたが、その時の私はコーナー手前からフェイントで向きを変え

皆がアクセルオフで曲がるコーナーをアクセル全開で曲がれました

自分でも不思議なくらい速く走れました・・・追い込まれて潜在能力が引き出される

という事を初めて経験した瞬間でした

このレースで優勝し、かろうじて引退を免れた私は、

この年はもう1回地方選手権で修業する事になりました









全日本選手権での惨敗、引退勧告
5年目のシーズン 18歳

国内カートレース最高峰の全日本選手権 西地域 に参戦しました

全日本選手権は中部地域を境に、西地域と東地域に分かれそれぞれのシリーズ上位

の選手で、最終戦で統一戦を行いチャンピオンが決まります

私が参戦したのは西地域で、静岡、三重、福岡、岡山、大阪、滋賀を転戦し

シリーズポイントの合計でランキングが決まります

この頃は、ほぼ毎週、多いときには月6回ほどレースや練習をしていて

これまでのレースで積み上げてきた集大成のつもりで参戦したはずでした・・・

当時は1クラス50~60台が参加し、半分は予選落ちになる激戦でした




初戦  静岡 つま恋カートコース 予選落ち

第2戦 三重 鈴鹿サーキット南コース かろうじて予選通過、25位くらい


地方選手権で走ったことのあるコースで、惨敗でした・・・

これ以上参戦しても通用しないことが分かりました

この年は僅か2戦で撤退しました

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これまでやってきた事が否定されたような気分でした

全日本選手権は、地方選手権とは別世界でした

独学で通用する世界ではなく、プロフェッショナルがいる世界でした

エンジンチューナー、フレームのセットアップ、タイヤメーカーの技術者、戦略を練る人・・・

すべてに専門家がいる世界を知りました

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地方選手権のように、自分で整備して自分で乗って戦える世界ではなかったのです


この年の終わりに父親から、引退するかどうするか、この先どうするのか決めろと言われました

全日本選手権は、金曜日からコース入りし、土曜に予選が行われていたので

レースになると3日は必要でした

もう、プライベートで参加するには限界でした

この時に自分は、もう1年だけ参戦して駄目なら引退すると言ったような気がします

色々話し合った結果、翌年初めの愛知県のレースで優勝出来なかったら引退しろという事になりました

続く・・・